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松山地方裁判所 昭和44年(ワ)162号 判決

原告 見谷佐代子

右法定代理人親権者父 見谷史郎

同右 母 見谷文江

右訴訟代理人弁護士 武田博

被告 松山市

右代表者市長 宇都宮孝平

右指定代理人 三好利

被告 道後温泉旅館協同組合

右代表者理事 森謙介

右被告両名訴訟代理人弁護士 米田正弌

同右 白石誠

主文

1、被告道後温泉旅館協同組合は原告に対し金一八四万二、一四二円およびこれに対する昭和四三年一二月三〇日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

2、原告の被告道後温泉旅館協同組合に対するその余の請求および被告松山市に対する請求は、いずれもこれを棄却する。

3、訴訟費用は、原告と被告道後温泉旅館協同組合との間においては原告に生じた費用の四分の一を同被告の負担とし、同被告に生じた費用の四分の三を原告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告松山市との間においては全部原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1、被告両名は各自原告に対し金七五六万八、七八三円およびこれに対する昭和四三年一二月三〇日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告両名の負担とする。

二、被告両名

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、原告の請求原因

1、(当事者)

原告は訴外父見谷史郎、同母見谷文江の長女(昭和四一年八月一八日生)であり、被告松山市(以下被告市という)は松山市道後湯之町四の三〇道後温泉センター(以下本件温泉センターという)の所有者、被告道後温泉旅館協同組合(中小企業等協同組合法に基いて設立された特殊法人、以下被告組合という)は右温泉センターの賃借人でその経営者である。

2、(本件事故の態様など)

原告は、昭和四三年八月二日正午すぎころ、父母に伴われて本件温泉センターに赴き、同所二階の浴場で入浴後、一階大食堂で食事をとるべく右食堂入口付近まで来た際、母文江が瞬時目を離したすきに、同所より約二間離れた駆動中のエスカレーター(一階から二階へ上るもの、以下本件エスカレーターという)に近づき、これに乗ろうとして、右エスカレーターの階段部分と右(下から上に向って右、以下同じ)側壁との間に生じていた約一センチの空隙に、左足親指と人差指とを噛込まれた。そして、原告の悲鳴に応じて母文江および父史郎が右エスカレーターに飛乗り、左足を噛込まれたままの原告を抱き、大声で付近の被告組合女子職員に右エスカレーターの停止方を求めたが、右女子職員は「止め方を知らない」と言うのみで適切な処置をとることができず、そのまま右エスカレーターは駆動して原告は最上段に至り、そのころようやく被告組合職員中のだれかが右エスカレーターを停止させた。その間原告の左足は漸次深く噛込まれて、最上段に至ったときにはついにかかとを残すのみとなっていたが、その直後被告組合職員中のだれかが再び駆動させたため、右エスカレーターは原告の左足を噛込んだまま更に最上段より五段くらい下方に移動するに至った。

原告は、右事故により左足挫滅創を受傷し、そのため左足中足部より切断手術を受け、現在タビ型義足を用いて歩行中であるが、将来成長に伴い左足関節尖足変形の可能性があり、そのときは切断再手術を要し下腿義足を必要とする重傷をこうむるに至った。

3、(被告両名の責任原因)

(1)、(被告市)

本件温泉センターは、主として松山市の住民の福祉を増進するためその利用に供する目的をもって、被告市が設置したいわゆる公共用営造物である。そして、国家賠償法二条にいう公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、それが安全性を欠き危険な状態にあることを指称するものと解すべきところ、本件エスカレーターが安全性を欠き危険な状態にあったことは、原告のような幼児がこれに乗移った場合、階段部分と右側壁との間の空隙に足指を噛込まれる状態にあったこと(このことは、本件事故の当日午前中に温泉客のぬぎすてたスリッパが前記エスカレーターの空隙に挾まれ、温泉客から「あぶない」と苦情が出ていた事実および現に本件のように原告が右空隙に足を噛込まれた事実により明らかである)により認められる。よって、被告市は、同法二条(これは無過失責任規定と解される)により、その過失の有無を問わず、右瑕疵により生じた本件損害を賠償する責任がある。

(2)、(被告組合)

①、(民法七一七条による責任)本件エスカレーターは民法七一七条にいう土地の工作物というべきところ、本件事故は、被告組合が、幼児を伴なう家族連れが大勢集合する温泉センターの右エスカレーター乗入口付近に危険防止のための職員を配置せず、また右エスカレーターに不測の事故が発生した場合の適正な処置方法についてその職員に周知徹底させていなかったことによって発生したものであるから、本件損害は右エスカレーターの保存について瑕疵があったことにより生じたものというべきである。そして、被告組合は、本件温泉センターを経営し、その物的設備である本件エスカレーターをその経営のため使用し占有しているのであるから、本件損害につき民法七一七条による損害賠償責任を免れない。

②、(予備的主張―民法七一五条による責任)本件事故は、前記のとおり被告組合の職員が直ちに本件エスカレーターを停止させず、またいったん停止させた後再び駆動させた過失により生じたものであって、右は被告組合の被用者がその事業の執行につきなしたものであるから、被告組合は、民法七一五条によりその使用者としてこれによって生じた本件損害を賠償する責任がある。

③、(予備的主張―民法七〇九条による責任)また本件事故は、被告組合が、その当時危険防止のための職員を配置していなかったこと、本件エスカレーターに不測の事故が発生した際の停止措置について職員に周知徹底させていなかったこと、本件エスカレーターの階段部分と右側壁との間に保安基準以上の空隙が生じていたにもかかわらずこれを知らなかったことなどの過失によるものであるから、被告組合は、民法七〇九条によりこれによって生じた本件損害を賠償する責任がある。

4、(原告の損害)

(1)、(慰藉料金五〇〇万円)原告が本件事故により受けた肉体的苦痛および将来女性として結婚適令期に達したとき配偶者を求めるにつき受けるであろう精神的打撃、その他生涯家庭生活や社会活動においてこうむるであろう肉体的不自由に伴なう精神的苦痛は甚大であり、この苦痛を償うべき慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

(2)、(逸失利益金二五六万八、七八三円)原告は、本件事故当時満一才一一か月の女児であったから、日本人平均余命表(厚生大臣官房統計調査部編第一二回生命表)によれば、その後なお七二年間は生存し、高等学校を卒業する満一八才からは一般女子労働者の平均賃金を稼働期間にわたって取得するものと認められるところ、その稼働期間は満一八才から六一才までの四三年間にわたるものというべきである。そして、労働省労働統計調査部編「昭和四三年度賃金構造基本統計調査報告」中の同年度における全企業の平均年令的給与額によれば、満一八才の女子有職者(家事労働者を含む)の月額平均給与額は金二万四、六〇〇円であり、年間のそれは金二九万五、二〇〇円となり、原告は右期間中その年令の推移に応じ毎年少なくとも右程度の給与を取得しうるものと推認される。ところが、原告は、本件事故により左足のリスフラン関節以上を失い、労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表第七級八号に該当する身体障害を受け、これにより労働省労働基準局長通達昭和三二年七月二日付基発五五一号(労災保償法二〇条の規定の解釈について)別表労働能力喪失率表に定められるとおり、普通人の一〇〇分の五六の割合による労働能力を喪失したので、これに応ずる収入の減少が見込まれ、その額は一年間に右年収の五六パーセントにあたる金一六万五、三一二円となる。そして、右受傷時における原告の年令満一才一一か月を便宜満一才とみて、これから満一八才に達するまでの一七年間は無収入、満一八才から満六一才までの四三年間は右金一六万五、三一二円を毎年喪失するものとし、これが受傷時における現価を求めるためホフマン式計算方法に従い年毎に民法所定年五分の割合による中間利息を控除するとその額は金二五六万八、七八三円となる。

5、(結論)

よって、原告は、被告市に対しては国家賠償法二条に基き、被告組合に対しては主位的に民法七一七条、予備的に民法七一五条または七〇九条に基き、両者各自に、右損害合計金七五六万八、七八三円の賠償と、右金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四三年一二月三〇日から完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告両名の認否と主張

(一)、(被告市)

1、請求原因第1項は認める。

2、同第2項中、原告主張の日時ころ、原告が本件エスカレーターの階段部分と右側壁との間の空隙に足を噛込まれて負傷したことは認めるが、右事故の態様・その場の情況・負傷の部位程度などはすべて不知。

3、同第3項(1)の事実は争う。

4、同第4項の事実は争う。

5、同第5項の主張は争う。

6、(本件エスカレーターの安全性について)仮に本件エスカレーターが公の営造物であったとしても、その設置および管理についてどの程度の危険防止措置を講ずべきかについては、およそ想像しうるあらゆる危険の発生を防止すべきことを基準にして決すべきではなく、通常予想される危険の発生を防止するにたると認められる程度のものを必要とし、かつこれをもってたると解すべきところ、本件エスカレーターの設置場所が温泉センターであるという特殊性を考慮しても、わずか一才一一か月余の幼児が一人でかつ裸足でエスカレーターに乗るといった事態は、通常予想されるものではない。そして、本件エスカレーターは、この種機械の代表的メーカーである株式会社日立製作所の製作にかかるもので、同機種のものが広く全国各地のデパート等に設置運行されており、また本件エスカレーターの階段部分と右側壁との間の空隙は、事故発生地点をバールで押広げた後の次の段の空隙が五ミリメートルであったことからして、五ミリメートルより狭くこそあれそれより広いということは考えられないから、本件エスカレーターは通常期待される安全性を備えていたというべきである。このように、本件エスカレーターが設置時においてもその後の管理の時点においても安全性を備えたものであったことは、昭和三九年二月の設置工事完了と同時に建築基準法七条二項に基き愛媛県建築主事の検査を受けてこれに合格し、同年三月一日からの運転開始後においても同法一二条二項、同法施行規則六条の規定により毎年一回定期的に愛媛県建築主事の検査を受けて、最近では昭和四三年三月三〇日付で本件エスカレーターの機械・設備ともに良好に維持保全されていることが確認されており、さらに日立ビルディングサービス株式会社との間で本件エスカレーターの保守契約を結び月二回の保守点検を同社になさしめ、同社から正常な設置状態にあることの確認を得ていることなどにより明らかである。したがって、本件エスカレーターの設置又は管理に瑕疵があったということはできない。

(二)、(被告組合)

1、請求原因第1項は認める。

2、同第2項中、原告が本件エスカレーターの階段部分と右側壁との間の空隙に左足先を噛込まれ、その結果左足中央部より切断手術を受けるに至ったことは認めるが、被告組合女子職員が本件事故発生直後本件エスカレーターを直ちに停止させることができなかったこと、および被告組合職員のだれかが本件エスカレーターを再駆動させたことは否認する。その余の事実は不知。

3、同第3項(2)中、被告組合が本件温泉センターを経営し本件エスカレーターを占有していたこと、および本件事故発生当時本件エスカレーターの監視を専門とする職員を配置していなかったことは認めるが、その余の事実は争う。

4、同第4項の事実は争う。

5、同第5項の主張は争う。

6、(被告組合の事故後の措置について)本件事故当時フロントに詰めていた被告組合女子職員の越智慶子は、夫を呼ぶ原告の母親の大声に不審を感じ、フロントから出てみて本件事故の発生を認めるや、直ちに約四メートル先の本件エスカレーター乗入口まで駆付け、エスカレーター操作板の停止ボタンを押してこれを急ぎ停止させる一方、他の従業員が直ちにバールを取寄せ、エスカレーターを壊して原告を救出した。そして、本件エスカレーターの操作板は、エスカレーター右側壁右側面に人目につきやすいよう露出した形で設置されており、これには『停止・警報・(上・下)切入・照明』の各文字が刻まれており、停止・警報は押ボタン式で、切入・照明は鍵を差込んで回すことにより操作するようになっている。したがって、本件エスカレーターの操作、特に停止は極めて簡単であって、被告組合職員が停止方法がわからず停止に手間どったというようなことは全くなかったし、また前記のとおり、再駆動させるには鍵を使用する必要があるため、従業員のだれかが不注意により再駆動させたというようなこともなかった。

7、(本件エスカレーターの安全性について)本件エスカレーターの設置および保存について危険防止のためいかなる設備等をなすべきかについては、およそ想像しうるあらゆる危険の発生を防止すべきことを基準として決すべきではなく、通常予想される危険の発生を防止するにたると認められる程度のものを必要とし、かつこれをもってたるというべきところ、本件エスカレーターの設置場所が温泉センターであるという特殊性を考慮しても、なおわずか一才一一か月余の幼児が一人でかつ裸足でエスカレーターに乗るといった事態は通常予想されるものではない。そして、本件エスカレーターがその機掛設備としての安全性を備えていることは被告市の主張するとおりであって、被告組合も賃借後は日立ビルディングサービス株式会社との間で保守契約を結び月二回の保守点検を同社になさしめ、同社から正常な設置状態にあることの確認を得ていた。さらに、エスカレーターは現在の社会通念からは極めて危険性の少ない設備と考えられているが、被告組合では、事故防止のため、本件エスカレーター乗入口に、注意事項として『イ、スリッパをはいて下さい。ロ、踏み段のわく内にお乗り下さい。ハ、手すりにつかまってお乗り下さい。ニ、降り口では足許にご注意下さい。ホ、お子供は大人がお連れ下さい。』の五項目を書いた掲示を掲げ、乗入口脇に『必ず手すりを持って正しく乗って下さい。』と注意事項を書いた立礼を出して、乗入客に厳重に注意を促していたし、エスカレーターの操作方法については、全従業員に対してその訓練をさせていたほか、特に本件エスカレーターの付近に常時詰めているフロント係下足係等五名程度の従業員に対しては十分に周知徹底させ訓練させていた。したがって、被告組合は、本件エスカレーターの事故防止については十全の注意を払っていたものであって、エスカレーターの設置および保存について通常期待される安全性を備えていたというべきである。

(三)、(被告両名)

(過失相殺の主張)仮に被告両名にいくばくかの損害賠償責任を免れないとしても、わずか一才一一か月余りの原告を一人でエスカレーターに乗せた原告の監督義務者たる原告の父母の重大な過失に比べれば、被告両名の過失は微々たるもので、右損害額の算定にあたっては原告側の右過失をしんしゃくすべきである。

三、過失相殺の主張に対する原告の認否被告両名の過失相殺の主張は争う。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、(本件の事実関係)

原告は訴外父見谷史郎、同母見谷文江の長女(昭和四一年八月一八日生で本件事故当時一才一一か月)であり、被告松山市は松山市道後湯之町四の三〇所在の本件温泉センターの所有者、被告道後温泉旅館協同組合(中小企業等協同組合法に基いて設立された特殊法人)は本件事故当時右温泉センターの賃借人でその経営者であり、これを占有していたこと、原告は昭和四三年八月二日正午すぎころ本件温泉センター内に備付けられた本件エスカレーターの階段部分と右側壁の間に足を噛込まれて負傷したこと、被告組合では本件事故発生当時本件エスカレーター乗入口付近にその乗入客の監視を専門とする職員を配置していなかったことは、いずれも当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫と検証の結果、労働省労働基準局長に対する調査嘱託の結果に弁論の全趣旨をあわせ考えると、原告は前記事故当日正午すぎころ、父母に伴われて入浴と食事のため本件温泉センターに赴いたこと、本件温泉センターの玄関から内部のロビーその他へは土足のままでは上れず、玄関左脇隅に下足ロッカーと大人用スリッパが備えられていたため、原告を連れた母文江は脱靴のうえスリッパをはき、原告には脱靴のままでスリッパをはかせず、父史郎とともにロビーに上り、階段を利用して二階大浴場へ行き、同所で入浴した後、一階大食堂で食事をとるべく、原告は短いワンピースとパンツだけの着衣で素足のまま母文江に手を引かれて、父史郎とともに階段を利用して一階に下り、一階から二階へ上るロビー中央部の本件エスカレーター西側脇下大食堂前のソファーのところまで来たこと、そして同所で父史郎は食品陳列棚の前に立って食物を選択しており、母文江は食事代金を取出すべくソファーにおいた鞄の中から財布を取出しているすきに、原告は父母のもとを離れ、同所から約四・五メートル離れた本件エスカレーター乗入口付近に歩み寄ったこと、そして母文江が原告の悲鳴に驚いて右乗入口まで至ると、原告は既にエスカレーターの最下段あたりの階段部分と右側壁との間の空隙に左足第二指と第三指などを噛込まれていたこと、そこで母文江は直ちに原告を抱いて足先を右空隙から抜こうとしたが抜けないため大声で夫を呼ぶとともに被告組合職員にエスカレーターの停止方を求めたこと、そのとき本件エスカレーター付近の同所から見えるところには被告組合の職員はいなかったこと、被告組合の女子職員越智慶子は本件エスカレーターから約一〇メートルほど離れたフロントに詰めており、丁度予約電話の応待をすませたところ、母文江の右叫び声を聞いて不審を感じたが、同所からは階段が邪魔になって直接エスカレーターの付近は見えないので、フロント裏側の事務所を通過して事務所入口のところから一メートル余エスカレーター寄りに出てみたところ、原告が本件エスカレーターの中段よりやや上のところで倒れているのを見て異状事態の発生を知り直ちに同所から約七メートルほど離れたエスカレーター右側壁右側面にあるエスカレーター操作板までかけつけその停止ボタンを押して本件エスカレーターを停止させたこと、本件エスカレーターが停止したとき原告の噛込まれた足の部分はエスカレーター階段の最上段付近まで達していたこと、その間原告の左足先は右空隙に噛込まれたままで階段の上昇とともに移動して行ったこと、そしてエスカレーターが停止したときは、原告の左足の指から中央部にかけての部分はほぼ全体にわたって右空隙に噛込まれていたこと、本件エスカレーターの上昇は乗入口から最上段に達するまで約二〇秒を要すること、本件エスカレーターが停止した後、一階事務所に仕事で来ていた会社員窪田淳が最上段付近の原告が挾まれているところまで上り、被告組合職員にバールなどを持って来させて、階段と右側壁との空隙をこじ開け原告を救出したこと、そして原告はまもなく救急車で近くの奥島病院に運ばれ外科医の治療を受けたが、原告は右事故により左足挫滅創を受傷し、そのため左足中央部(リスフラン関節部分)より切断縫合手術を受けるのやむなきに至って該手術を受けたこと、その後右病院に約四か月間入院し約四か月間週に一度の割合で通院したこと、そして原告は現在タビ型義足を用いて、歩行、駆足、正座などもでき、特に運動障害はないものの、それらが長時間におよんだり、強度になってくると正常時に比較して相当劣り、支障を生ずること、また、右受傷のため将来成長に伴い左足関節尖足変形の可能性があり、そのときは切断再手術を要し、下腿義足を必要とするに至ること、エスカレーターの階段部分と左右側壁との間隔に関する法令上および行政上の保安基準は存しないが、本件エスカレーターを製作した株式会社日立製作所で定めた保安基準(許容間隔)は五・九ミリプラスマイナス二ミリとなっていること、本件エスカレーターの事故当時の右間隔は、広い部分で約七ミリ狭い部分で約一ミリ余であり平均すると三ミリないし四ミリ程度であったこと、本件エスカレーターを含む本件温泉センターの建物諸設備一切は被告市が昭和三九年二月に建設設置したもので、昭和四三年三月末日までは被告市が直接これを経営していたが同日これを廃止し、同年四月一日より年間二、六〇〇万円の賃料で被告組合に賃貸しその経営管理一切を委せるに至ったものであること、本件温泉センターは一階に大食堂・温泉プール・娯楽室・ダンスホール・土産品コーナーなど、二階に大浴場(男女各一)・小広間(客室)などを設けた総合センターとなっており、毎日家族連れなどに多数利用されていたこと、本件エスカレーターは一階ロビーのほぼ中央に設けられており、その乗入口付近には一時休憩用ソファーのほか、大食堂・化粧室(トイレ)・玄関・土産品コーナーなどがあり、本件エスカレーターやその付近のロビーは、幼児子供・老人を含む家族連れなどの客が往来などによく利用されていたこと、本件エスカレーター付近に常時配置されていた職員としては、一番近いところでフロント係員越智慶子がいたが、前記のように同所から本件エスカレーター乗入口までは約一〇メートルほど離れているうえ、右フロントからは本件エスカレーターは中間の階段が邪魔になって見透せないこと、本件エスカレーターはほとんど毎日運転しており、本件事故当日は午前九時ころ入場係員が始動して運転を開始していること、エスカレーターの始動・停止(主として運転開始時と終結時におけるもの)などの操作は専属の係員をつけておらず、フロント係員とか入場係員などが随時客の状態をみてすることになっていたこと、エスカレーターの操作板は一階側にはエスカレーター右側壁右側面に、二階側は降り口付近にそれぞれ人目につきやすいよう露出した形で設置されており、これには『停止・警報・(上・下)切入・照明』の各文字が刻まれていたこと、そして右停止・警報は押ボタンを押すことにより、切入・照明は鍵を差込んで回すことにより操作するような装置になっていたこと、本件エスカレーター乗入口付近の柱には人目につきやすいように注意事項として『イ、スリッパをはいてお乗り下さい。ロ、踏み段のわく内にお乗り下さい。ハ、手すりにつかまってお乗り下さい。ニ、降り口では足許にご注意下さい。ホ、お子供は大人がお連れ下さい。』の五項目を書いた掲示を掲げていたこと、以上の事実が認められ、右認定をくつがえすにたる適確な証拠はない(なお、原告は本件エスカレーターは原告の左足が最上段に達したときいったん停止したが、被告組合の職員中だれかが再び駆動させたため、エスカレーターは原告の左足を噛込んだまま逆転しだし最上段より五段目ぐらい下方まで移動するに至ったと主張し、右主張に添う原告法定代理人両名の供述があるがこれは≪証拠省略≫により認められる本件エスカレーターが最終的に停止した位置即ちバールでこじ開けた位置が最上段からわずか三〇センチたらずのところであること、および本件エスカレーターを逆転せしめるには前記操作板の「切入」に鍵を差込んで操作しなければならないのにこれをなした形跡がないことに徴し直ちに措信し得ず、他に原告の主張事実を認めるに足る証拠はない。)

二、(被告市の営造物責任について)

そこで、まず被告市の国家賠償法二条に基く損害賠償責任の有無について検討するに、同条にいう公の営造物とは直接国または公共団体の公の目的に供用される物的設備ないし有体物をいうと解されるから、右主体が直接公の目的に供用することを廃止したときは、その所有権がいまだ右主体に存するとしても、もはや公の目的に供用しているとはいえず、右廃止の時点で公の営造物としての性質を失ったものというべきである。これを本件についてみると、前示諸事実によれば、本件エスカレーターを含む本件温泉センターは被告市の所有ではあるが、被告市は昭和四三年三月末日をもってこれが経営を廃止し、同年四月一日からこれを被告組合に賃貸してその経営管理一切を委せたものであって、右賃貸をもって直接公の目的に供用する行為であるということはできないから、被告市は右経営を廃止した時点で本件エスカレーターを直接公の目的に供用することを廃止したものというべく、したがって本件エスカレーターは右の時点で公の営造物たる性質を失ったものといわなければならない。

さすれば、本件温泉センターが公の営造物であることを前提とする原告の被告市に対する国家賠償法二条に基く本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるというほかはない。

三、(被告組合の工作物責任について)

次に、被告組合の民法七一七条に基く損害賠償責任の有無について検討する。本件エスカレーターは本件温泉センターの建物内に設置されたものであるから、同条にいう土地の工作物にあたることは明らかである。そして同条にいう土地工作物の保存に瑕疵があるとは、当該工作物の設置された場所の環境、通常の利用者の判断能力や行動能力などを具体的に考慮して、当該工作物が本来備うべき安全性を欠いている状態を指称しているものと解される。これを本件についてみると、前示諸事実によれば、本件温泉センターは幼児子供や老人などの利用できる温泉大浴場・温泉プール・大食堂などの諸設備を有する総合センターとなっていたため、幼児子供や老人などを含む家族連れなどの客に毎日多数利用されており、本件エスカレーターやその付近においても、一時休憩用ソファーのほか大食堂・娯楽室・化粧室(トイレ)・土産品コーナーなどがあり、幼児子供や老人などを含む家族連れなどの客がその往来などによく利用していたのであるから、幼児子供や老人などが親や監督者などの目を離れるなどし、一人歩きをして本件エスカレーターの乗入口付近に近づいてこれに乗移るに至り、ひいては本件のようにエスカレーターの階段の部分と左右側壁との間の空隙に足を噛込まれたり(本件温泉センターにおいては右のとおり大浴場・温泉プールなどの諸設備があったため素足のままこれを利用する危険性が大で右のような事故が起こりがちである)、あるいは動くエスカレーターの上で転倒するなどして負傷するなどといった事態も十分予測することができるというべきである。そして幼児子供や老人などがいったん右のような危険な状態に陥ったときには自力で危険から脱する知能も体力もないことはもちろんのこと、事前に右のような危険に陥ることを回避する才覚も持ち合わせていない場合が多いことを考え合わせると、被告組合において本件エスカレーターを運転して利用客の用に供する場合には、右事情を考慮して、本件エスカレーターの乗入口付近にかような幼児子供や老人が接近しつつあるときは、エスカレーターに乗移ることを事前に防止するか、もしくは安全にエスカレーターを利用することができるように正しく誘導するなどして、本件エスカレーターに起因する事故の発生を未然に防止すべきであり、したがってそれが可能なように右事故防止を任務とする職員をそれが可能な位置に配置してその体勢を整えておくべきものであるといわなければならない。しかるに、被告組合が右のような体勢を整えていなかったことは前示のとおり(フロント係や入場係は単に本件エスカレーターの始動および停止などを担当していたのみで右の任務を負うものではなかった)であるから、本件エスカレーターはその本来備うべき安全性を欠いていたものであって、その保存に瑕疵が存在したものというべく(前記認定のように本件事故当時本件エスカレーターの階段部分と左右側壁との間の空隙は広いところで七ミリ平均すると三ミリないし四ミリ程度であるが、これは移転部分と固定部分との間のものであるから、右程度の空隙はやむをえないものであって、一般的にこれをもってエスカレーターの機械自体に瑕疵があるとみることは困難である)、本件事故は右瑕疵が原因となったものといわざるをえない。

そして、本件エスカレーターの占有者としての被告組合は、本件エスカレーターの運転に際して損害の発生を防止するに必要な注意をなしたときは損害賠償責任を免れるが、右注意は損害の発生を現実に防止しうるにたるだけのものでなければならないものというべきところ、被告組合は第一項記載のとおり本件温泉センターの玄関脇にスリッパを用意し、右記載のような注意事項を本件エスカレーター乗入口付近に掲示したのであるが、これらは原告のような一才一一か月の幼児に対してはその実効性を望むべくもないのであるから、これのみでは被告組合が右注意をなしたものということはできないといわなければならない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、被告組合は原告の本件事故による損害を賠償する責任があるというべきである。

四、(原告の損害)

1、(慰藉料)

原告法定代理人両名の供述によれば、原告の父史郎と母文江は昭和三九年五月に結婚し、原告はその長女(母文江の連れ子常子と長男光史の三人兄弟の末子)として出生し、父史郎は海産物卸商として年収約三〇〇万円の収入を得、家族五人は比較的裕福で円満な家庭生活を送っていたことが認められること、前示のとおり原告は本件事故による受傷により左足中足部より切断縫合手術を受け、左足のリスフラン関節以上を失うに至ったこと、したがって原告の本件事故により受けた精神的苦痛および女性として将来結婚適令期に達したとき配偶者を求めるにつき受けるであろう精神的苦痛その他生涯家庭生活や社会活動においてこうむるであろう肉体的不自由に伴う精神的苦痛は甚大であると認められること、一方本件事故発生について原告を一時的にせよ放置した母文江、父史郎の監督義務者としての過失の寄与率も大きいと認められること、それに本件事故の態様その他諸般の事情を総合して考えると、原告の精神的苦痛を償うべき慰藉料は、金六〇万円をもって相当と認めるべきである。

2、(逸失利益)

原告が昭和四一年八月一八日生れ(本件事故当時一才一一か月)の女子であることは当事者間に争いがなく、原告法定代理人両名の供述によれば、原告は普通の健康体であり、格別知能の欠陥もなかったものと認められるから、本件事故後なお七三年(第一二回生命表による一才一一か月の女子の平均余命)程度は生存でき、本件事故から一七年後の一八才時から四二年間経過した六〇才時まで稼働でき、その間少なくとも原告主張の月額金二万四、六〇〇円年額金二九万五、二〇〇円の収入を得られた筈のところ、本件事故によって生じたところの左足をリスフラン関節以上で失った後遺障害のため、右収入額の一〇〇分の五六を得ることができなくなったものと認めることができる。けだし、原告の主張する右収入月額は昭和四三年度の統計に基く満一八才の女子労働者の賃金を根拠にするものであるところ、その後の賃金上昇が相当多額になっていることは広く社会に知られているところであることを併せ考えると、右額は相当控え目なものであることは明らかであり、一方、原告が労働能力喪失割合の根拠として主張する通達は前示原告の運動障害の程度と併せ考えるとにわかにその合理性を見出すことはできないにしても、収入額が右のように相当控え目なものであることを考えると、その限りにおいては妥当性を認めることができ、結局右算定方法による結論は相当として是認されるべきものである。そこで右逸失利益の損害発生時の現価を求めるためホフマン式計算方法に従って年毎に民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除すれば、金二四八万四、二八五円(円未満切捨)となり、原告は同額の損害を蒙ったものと認めることができる。

3、(逸失利益の過失相殺)

ところで、前示のとおりわずか一才一一か月の原告を一時的にせよ放置した母文江、父史郎の監督義務者としての過失は明らかであり、これを被害者側の過失として被告組合の賠償すべき本件逸失利益額の算定にあたってしんしゃくすべきところ、右過失は本件事故発生原因の二分の一と認められるから、被告組合の賠償すべき原告の逸失利益額は結局前記金二四八万四、二八五円の二分の一にあたる金一二四万二、一四二円(円未満切捨)となる。

五、(結論)

以上の次第で、原告の被告組合に対する本訴請求は、前項の慰藉料金六〇万円、逸失利益損害金一二四万二、一四二円の合計金一八四万二、一四二円とこれに対する訴状送達の日の翌日であることの本件記録上明らかな昭和四三年一二月三〇日から完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、原告の被告組合に対するその余の請求および被告市に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋山正雄 裁判官 梶本俊明 梶村太市)

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